以前に書いた『安心社会から信頼社会へ – 日本型システムの行方(山岸俊男)』の記事がアンカテにリンクされて、おかげでブログのアクセス数も増え、アマゾンアソシエイトでも1冊売れました。ありがたやありがたや。

安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している – アンカテ

検索したら、ちょっと難しいけど、いい紹介エントリがありました。

これ、ストリートビューに対する日米の反応の違いをベタに説明できるのではないだろうか。

 という感じで、最近日本でも始まったGoogleストリートビューについて、『安心社会…』の概念を用いて日本での反応について説明できるのではないかとしています。

山岸氏の研究は、「知らない人を信頼する度合いが、アメリカより日本の方が低い」ということを、社会心理学的実験で実証したものだ。日本人が安心できるのは、何らかのコミュニティの内部で相互監視による抑制が働いている場面のみで、その枠が無い時は、日本人は他人を信頼できないという。

日本人が自分ちの庭をオープンにできるのは「安心」しているからであって「信頼」しているからではない。

「安心」と「信頼」は山岸氏の研究でキーとなる概念で、「安心」は、道ゆく人が社会から暗黙の規制を受けていると思うことで、「信頼」とは、規制されてなくても人間というものは普通悪いことはしないと思うこと。

日本人は他人を「信頼」してないけど「安心」している。アメリカ人は「安心」してないけど「信頼」している。

そもそも「安心」という概念がなくて、他人への一般的な「信頼」が基礎になって成立している社会にとっては、別にどうということはないけど、他人を「信頼」できない人にとっては、ストリートビューは「安心」をぶち壊すとんでもないものに思える。

 せっかくリンクしてもらったものの、Googleストリートビューに対する反応の違いを説明するのに、山岸氏の「信頼」概念は適切ではないのではないかというのが正直な感想です。

 Googleストリートビューに対する違和感を表明したブログ記事として、higuchi.comのGoogle の中の人への手紙 [日本のストリートビューが気持ち悪いと思うワケ]がアンカテでも紹介されています。これがGoogleストリートビューに対する批判の代表的意見なんでしょう。

 しかし、この記事を書いた樋口さんやこの意見に同調する多くのブログ読者が、「とても日本人的で、他者に対する一般的信頼が低いから、Googleストリートビューに対して好意的でない」かというと、あまりそうとは思えません。「一般的信頼」概念を持ち出すまでもなく、もうちょっとシンプルな話のような気がしますがいかがなもんでしょう。(次回に続く…かもしれない)