僕が入学する以前のことだから、90年代の前半頃の話である。大学時代に住んでいた寮の先輩数名が、ある年のバレンタインデーの日、大学の本館にバレンタインデー共産党宣言なるものを貼り出し、その下に段ボール箱を設置したそうな。
要するに、恋愛資本主義社会においてはモテる者とモテざる者の間で恋愛の分配において不平等が生じるので、公平で平等な社会を目指して、バレンタインデーでもらったチョコレートをみんな集めて全部融かし、それを平等に分配しようということだった。
しかし、伝え聞くところによると、段ボール箱にはまったくチョコは集まらず(当たり前!)、メンバーの中でもチョコをもらった者が出て、内ゲバやったかどうかは知らないけど(笑)、あえなく空中分解したらしい。やっぱ、コミュニズムって理想論なんだな(笑
このバレンタイン共産党宣言、何か元ネタはあったのだろうかと思ってちょっとぐぐってみたら2ちゃんの過去ログが出てきた。
1 名前: 氷室直樹 投稿日: 02/02/14 18:25
日本の如月を、ある妖怪が歩いている・・・バレンタインという名の妖怪が。
バレンタインという習慣は資本主義の産物である。
自由恋愛と資本主義が結びついた結果、社会における恋愛の総量はそれ以前の恋愛の総量を凌ぐであろう。
バレンタイン商戦・女の子たちが、チョコレートを買い漁って、義理であったり本命であったり、そうして日頃お世話になったり好きであった男性にプレゼントする。
もはや誰もが知っている習慣、その経済規模は計り知れない・・・バレンタインがなかったころは、社会的環境も 自由恋愛とはほど遠く、また恋愛は人文科学の対象であって社会科学の対象ではなかった・・そのころに比べれば、恋愛の総量ははるかに多くなったはずである。
あんなにも多くのチョコが流通しているならば、この推論は有力であろう。
然るに!この資本主義自由恋愛は、社会全体の恋愛の総量を最適化(最大化)しているにしても、その実恋愛の分配は不公平である。
「モテる者はますますもてて、モテない者はますますもてない」
しかも”非自発的独身”の発生は不可避である!
他にも調べてみると、フラレタリアートとか、フルジョアジーなんて云い方もされてるらしいw
結局、元ネタがあったのかどうかはよくわからなかった。持てる者と持てざる者という云い方から、共産主義を恋愛ネタに結びつけることは誰でも思いつきやすいとは思うけど、果たしてこの共産党宣言、元ネタは存在したのだろうか。
今年も間もなくフルジョアジーとフラレタリアートとのバレンタイン階級闘争が始まりますな。最近なら、流行遅れのマルクス主義ではなく、格差社会みたいな云い方をするのかな。
『恋愛格差社会−「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』とか。「負け組」と書いて「非モテ」と読んだりして。怖っ。
参考:
・希望格差社会(山田昌弘)(2005.9.25)
![]() | 希望格差社会-「負け組」の絶望感が日本を引き裂く 山田 昌弘 筑摩書房 2004-11 by G-Tools |
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