愛・地球博が始まる日、僕は病院で長い時間待たされていた。暇つぶしに読む本でも持参していればよかったがあいにく何も持たずに来てしまった。待合室のテレビでは地球博の開会式の様子が映し出されていて、こういうイベントごとの開会式なるものに大して興味を抱かない僕も、このときばかりは仕方なくテレビを眺めていた。
開会式では何人かお偉いさんの挨拶が続いていたが、その中に気になる発言があった。それは「環境保護と経済発展の両立を実現させる鍵は科学技術にある」という小泉首相の発言。えっ、というか、やはりというか。トップがこういう認識だから、日本の環境対策はなかなか進まないのかもしれない。
(首相官邸のサイトに動画があった)
環境問題の理解に科学的な視点は欠かせない。しかしながら、現在環境問題を引き起こしているのはわれわれの日常生活に由来するもの、生活の様式といったものではないだろうか? そうであれば、環境問題の解決に科学技術が必ずしも有効とはいえないケースも多いように思う。
例えば大気汚染の問題を考えよう。大気汚染の大きな原因の一つとして自動車からの排気ガスがある。排気ガスにどのような物質が含まれていて、それがどのように化学反応を起こし、人体にどのような健康被害を及ぼすのか。こうしたメカニズムの解明には科学的な観点からの分析が必要になる。
さて、この問題を科学技術によって解決しようとするとどのようなやり方があるだろうか。一つは排気ガスに含まれる有害物質を減らすようにする方策があるだろうし、もう一つには燃料電池車のように排気ガスを出さない自動車を開発するという方策があるだろう。
しかし、前者のやり方では、仮に有害物質の量を3割減らしたとしても、自動車の走行時間が3割増えれば意味がない。後者にしても、技術的に自動車の開発ができても、一般にどのように普及させるか、コストをどのように下げるか、水素をどのようにして供給するかといった問題が残っている。
そうすると問題の解決にはもう少し違ったアプローチが必要であることに気づかなければならない。そもそもなぜ自動車の利用が増えているのかといった分析が必要で、それらは交通経済学や社会学、社会心理学といった社会科学の分野からなされることだろう。そして、その解決には社会のシステムを変えることが必要であり、そのためには必ずしも最新の科学技術は必要ではないのだ。
ごみ問題の解決にしても、高性能の焼却炉を造っても、炉の運転のために常に大量のごみを必要とするようになり、燃やすごみが少ないと(ごみ減量が進むと)逆に困ってしまう状況が出ている例もあると聞いた。こうなるともはや本末転倒であり、何のための科学技術かということになる。科学技術による問題解決はどちらかというと対症療法的で、根本的解決に繋がらないこともあり、さらなる問題を生み出す場合さえあるのだ。
環境問題の解決は既存の技術、ローテクで十分対応できることが多い。環境先進国と云われるドイツや北欧の国々も、日本より環境関連の科学技術が進んでいるわけではないだろう(科学技術という点に関しては日本の方が優れているとさえ思える)。
実際に重要なのは、社会のシステムをどうしていくかというところと、そのための合意形成である。為政者にはそのへんの認識をしっかりと持ってもらいたいし、素朴な科学技術万能論は改めていただきたい。
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