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環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks) 武田 邦彦 洋泉社 2007-02 by G-Tools |
『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(武田邦彦著)という本がけっこう売れているらしくて、第2弾、第3弾と続編が出ているようです。こうした類の本が書店の環境本コーナーに行くと平積みで置いてあるし、Amazonで「環境」についての本を探すと、『エコロジーという洗脳 地球温暖化サギ・エコ利権を暴く[12の真論]
』『偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する
』『正義で地球は救えない
』といったタイトルがどんどん出てきます。
これらの本は、地球温暖化CO2原因説に懐疑的だったり、リサイクルは環境によくないと主張していたり、ダイオキシンは危険ではないと言っていたり、著者によって主張に多少の違いはあるものの、「環境問題として一般的に言われていることを否定している」という共通性があります。
ではなぜ今こうした本が売れているのか。端的に言うと、「エコ」という道徳的十字軍に対する反十字軍ってことだと思います。
地球温暖化問題がクローズアップされるにともない、温暖化防止のための啓発活動も国や自治体、企業やNPO、学校など、さまざまな主体によって活発になされるようになりました。
テレビを観る時間を減らしましょう、シャワーは使いすぎないようにしましょう、冷房の設定温度は28度に、レジ袋はもらわずエコバッグを持参しましょう、車はなるべく乗らず公共交通機関を使いましょう。こうした啓発的な呼びかけを多くの人はどこかで聞いたことがあると思います。環境のために一人一人が日常において心がけるべき行動が示され、繰り返しアナウンスされているのが現代の社会です。
「環境によい/悪い」という価値基準が社会において共有されるようになり、それらは「エコロジー」もしくは「エコ」と呼ばれて、人々の生活のいたるところに入り込んでいます。「環境のため」と言われると、誰しもそれに異を唱えることは難しいでしょう。こうして「エコロジー」という新しい「道徳」が人々の心や行動に影響を与え始めています。
道徳の境界線は時代や社会背景により変化するものです。今という時代は、環境という観点から、道徳的境界線を引きなおす道徳的十字軍が進行しているときと考えることができます。
ある価値観が社会に共有されていくと、たとえその価値観を認めていなくても、そこから無関係でいつづけることは難しくなります。そのような価値観があることに気づいていないまったくの無頓着のような場合を除けば、その価値観が内面化するからです。「自分はそのような価値観を認めない」と思うこと自体が、その価値観の影響を受けていることになります。
ある道徳的な価値観が内面化すると、その道徳に反する行為を行うことに罪悪感を覚えるようになるでしょう。よって、エコロジーが道徳化すると、それまでは道徳的価値とは関係のなかった日常生活のさまざまな行為が、道徳的観点から「よい/悪い」と価値判断されるようになります、まじめな人ほど車に乗ったり、レジ袋をもらうことに罪悪感を感じるようになるわけです。
そうした罪悪感から逃れるにはどうすればよいか。まじめにエコ活動に励む人もいるでしょうが、反十字軍に走る人も出てきます。そういう人たちは「あれは実はエコではない。科学的に正しくないし、ウソなんだ」と認知を変えることで、心理的な平衡を保とうとします。メインストリームの環境論への科学的批判だけでなく、世間で行われているエコ活動に対する道徳的批判(『正義で地球は救えない』という書名などはまさに!)も一緒に行われているのがその証左でしょう。
そして、エコバッグやマイ箸を持参したり、夏の冷房の設定温度を28度にしたり、シャワーの使用を減らしたりといったいわゆるエコ活動は、環境問題の解決には役立たない、あるいはそういった環境問題自体がそもそも問題視するものではない・存在しないなどと見なすようになります。
社会全般にエコロジーの道徳化が広まり、それに反発する人の一部が環境問題の影響や存在自体を疑うことによって、新しい道徳から逃れ、心理的な安定を得ようとしている。だから環境問題懐疑本の類が売れている、というのが僕の仮説です。
地球温暖化が起きてるのかどうか、起きているとしてそれは人為的要因によるものかどうか、温暖化が進むことで人類に悪影響はあるのかどうか等についての、科学的な議論はここではするつもりはありません。それはすでにあちこちでなされていると思うのでそちらに譲ります。一応、おまけの情報として「査読つき学術雑誌には、人為的要因による地球温暖化を否定した論文は掲載されていなかった」という研究もあるということだけリンクしておきましょう(詳しくはこちら)。
科学的にどうこうといったことよりも、ここでちょっと考えておきたいのは、エコロジーの道徳化についてです。誰もが手軽に取り組めるマイバッグや省エネ等のエコ活動を推進するのはけっこうなことですが、こうしたエコ活動こそが地球のための活動というような風潮が広まって道徳の問題となると、むしろ環境問題の本質から遠ざかり、問題の解決に至らないと思います。
啓発・啓蒙で環境問題は解決しませんし、それがエスカレートして道徳になれば、上述したように反発する人を増やすだけでしょう。最初の取っ掛かりは啓発・啓蒙運動や、誰もが取り組めるエコ活動でよいのですが、本質的な問題解決に近づくためには、システムを変えたり、仕組みをつくるといったことが必要です。そう書くと大きな話に思えるかもしれませんが、小さなレベルからでも始めることは可能です。
例えば、公立学校の省エネプロジェクトとして、省エネにより削減した光熱費をすべて自治体に戻すのではなく、半分を学校に還元し、備品の購入に充てることができるというものがあります(参照:フィフティ・フィフティ)。「環境のために省エネしましょう」という啓発では、心がけのよい生徒・教職員しかそれに応じないでしょうが、浮いた光熱費が還元されるという経済的インセンティブが働けば、取り組みの本気度も変わってきます。そしてこれが1校だけのプロジェクトではなく、全国的なものとなれば社会的なインパクトも大きいだろうし、環境に対する影響もだいぶ違ってくるでしょう。
環境問題における、道徳的十字軍と反十字軍の不毛な争いはなかなか尽きないでしょうが(笑)、そういうのはとりあえずほっといて、エコロジーを道徳の問題に落とし込んだりせず、具体的な仕組み・システムをつくってきちんと成果を挙げていくことこそが重要だと思います。
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正義で地球は救えない 池田 清彦 新潮社 2008-10 by G-Tools |
2 Responses for "なぜ『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』が売れるのか"
■豪 CO2削減で慎重な目標-サブプラムローンと排出権取引の失敗が重ならなかったことはまさに人類にとって僥倖か?
こんにちは。オーストラリアのCO2削減目標下げたこと妥当だと思います。多くの人があまり気づいていないようですが、地球温暖化二酸化炭素説にもとづく、排出権取引が今よりももっと普及していたらと思うと、背筋がゾッとします。排出権取引は、はっきりいって、サブプライムローンと同等もしくはそれ以下の低劣な金融デリバティブ商品です。もし、排出権取引がサブプライムローンのように証券化され、多数の取引がなされていたとしたら、そうして、サブプライムローンと同時期に同じような問題を引き起こしていたら、今の金融危機などはるかに上回る大恐慌になっていたかもしれません。意味のない排出権取引など破棄すべきです。今や人類にとってほとんど意味のない地球温暖化二酸化炭素説ならびに温暖化災厄説の呪縛を解き放ち、人類にとってより良い選択をするときです!!
>yutakarlsonさん
反十字軍活動ご苦労様です(笑
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