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環境社会学 – 生活者の立場から考える 鳥越 皓之 東京大学出版会 2004-10 by G-Tools |
環境社会学の概説書。放送大学用テキストとして書かれた本の改訂版であり、内容は平易でわかりやすい。
著者は、人は環境をよくしたいと思いながらも実際には悪化させ続けているとして、それは「“自分たち”に“利得”をもたらしたいから」であるという。そうした利得への魅力に対する「抗しがたさ」を、「社会的価値観、社会規範、社会制度、社会運動などのいわゆる社会レベルの事柄を通じて人々は是正しようと努め」、その社会レベルの事柄を分析するのが環境社会学の目的であるといっている。
環境問題というと、科学の問題、理系の問題だというように捉えられることもしばしばあるが、科学による解決が目指されるとしてもそこに関わるのは人間である。また、科学技術ではなく、法律による解決策もあるし、もっと人々の生活に根ざした生活の知恵的解決策もある。そうしたものを「社会レベル」から分析していくのが環境社会学といえるだろう。
概説書であるため環境社会学のトピックは網羅的に取り上げられているが、著者もその理論モデルの構築に関わった生活環境主義については紙数を割いて紹介されている。また、生活環境主義とも親和的なトピックである人々の暮らしと環境の関係(コモンズ、農業、歴史的環境など)についての話題が多いのも本書の特徴である。
■生活環境主義
自然環境の保護を最も大事にする考え方を自然環境主義、近代技術に信頼を置く考え方を近代技術主義とする。それらの考え方との対比で、そこに暮らす地元の人たちの生活のシステムの保全をもっとも大事にする考え方を生活環境主義としている。
例えば、自然環境を守るために一定区域を保護区として人間が立ち入れないようにするやり方は自然環境主義といえるだろう。しかし、自然をうまく利用しながら生活してきた歴史も人間は持っている。マタギや伝統的農業などがそうした例として挙げられる。このような、生活に根ざしながら環境との調和を図っていくのが生活環境主義の考え方である。白神山地が世界遺産となり、それまで自然と調和しながら山の資源を利用してきたマタギまでも山に入れなくなってしまったというのは、自然環境主義と生活環境主義がバッティングしているひとつの事例だろう。
■共同占有権
生活環境主義で使われる概念でこれはおもしろいと思った「共同占有権」について簡単に紹介。
共同占有権とは、特定の地域(自治会範域程度が一番多い)に居住する住民が敢行として「利用している」という事実を論拠にして、当該地域を共同して占有している事実をさす。
農村地域でよく見られるものだが、都会においてもそうしたものがあるという。本書で例として挙げられていたのは都会の川の話である。ある都会で住民が川をきれいにする運動があり、数年かけて子どもたちが水遊びができるくらいにした。そうなると、行政が河川の改修をしようとしても、実質的には住民組織の同意がないとできなくなってしまったそうだ。
確かに、こうした例は環境問題に限らずある。利用する人たちによって公共(圏)が発生しているわけだ。
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コミュニティの再生が叫ばれて久しいが、平成の大合併や地方格差の問題、2007年問題(退職した団塊世代の企業人間が大挙してコミュニティに戻ってくる)を受けて、まちづくりに関わる行政・NPO・研究者などの間で近年またコミュニティというものがクローズアップされている。そうした分野でも生活環境主義の考え方は使えそうだ。
以前紹介した山岸俊男『安心社会から信頼社会へ – 日本型システムの行方』はコミュニティ内でのコミットメント関係から一般的信頼へという論調だったが、人が生活していくためにはコミュニティに根ざして生きていかなければならないことも多いし、実際現場で役立つのはコミュニティでの関係や、その中で使われている「生活知」だったりする。
だから、どちらか一方というのではなく、両者の使い分けが重要なのだと思う。現在うまくいっている農村などは、コミュニティ内の関係と、コミュニティ外への一般的信頼というのがそれぞれバランスがとれているからうまくいっているのではないだろうか…と感じた。
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